第157話 昭和時代が終わった日
最近、また一人、身近な方がお亡くなりになりました。男性で年齢は90歳を超えていましたので、ほぼ大往生と言えます。
この方は数回職業を変えながら、最終的には家業である小さな駄菓子屋を経営していました。駄菓子屋と言っても、そんじょそこらにある駄菓子屋とはわけが違います。
規模が大きいとか、店が立派だとか、変わったものを売っているとかではありません。昔からある普通の駄菓子屋さんです。普通の駄菓子屋さんですが、その店の雰囲気と地域での役割は稀有なものでした。
ご本人は気が付いていなかったかもしれませんが、コンサルタントの目から見れば、その地域にとって非常に高い価値を持った店であったといえます。そして、経済的な価値よりもコミュニティーとしての価値の方が何倍も大きかったと考えています。
ある地方都市のさびれた郊外にその売店はありました。私鉄の構内に売店を構え、乗降客に食料品、飲料品、たばこ、雑貨などを販売していました。今でいうコンビニのような存在です。
ただ、店はまさに昭和レトロといった雰囲気の外観で、非常に趣がありました。映画のセットに使えるような店構えで、店内は関東煮(おでん)の鍋を前にして一杯やれる造りになっていました。いわゆる角打ちです。
大正末期に創業し、二代目店主として頑張ってきました。高度経済成長期やバブル経済期は本当に忙しかったと言います。しかし、時代は昭和から平成になり、バブルがはじけて地方都市は少しづつ疲弊していきます。人口減少が進み、鉄道の利用客が減り、売店の売り上げも減少していきます。
そんな時代であっても、この方は売店を守り続けてきました。そして三代目が店を切り盛りしだしてしばらくした時のことです。鉄道の廃線が決まり、駅構内にあった売店は店を閉めざるを得なくなりました。鉄道会社から立ち退きを求められたからです。
地域の住民や利用客は閉店を惜しみました。営業最終日には大勢の売店ファンが押し寄せ、店の中の商品は空っぽ、売るものは何もなくなりました。地元のテレビ局までやってきて生中継するほどです。
小さな売店が閉店するのに、なぜこのように大勢のファンが集まってくるのでしょう? あなたの会社や自宅の近くにあるコンビニが閉店するからといって、惜しんで人が大勢集まってくるとか、テレビ局が中継に来るか? ということです。来るわけないですよね。
先ほども述べましたが、そこには地域のコミュニティーの役割があったのです。売店を中心に人が集まっていました。そこには「むら」ができていたのです。
サラリーマン、タクシーの運転手、学校帰りの小中高校生、トラックドライバー、訳ありの人物、漁師、郵便局員、学校の先生、近所のお年寄り、子供連れの親子、鉄筋屋の社長、高校野球の審判員、もちろん駅の乗降客。本当にいろいろな経歴の人が集まっていました。
そんな人たちは、ただものを買うだけではなく、その売店内で飲食をし、愚痴を言い、うれしいことや悲しいことを報告し、情報を交換し、仕事途中の人は「さて、そろそろ仕事に戻るか」などと言って売店を出るのでした。そして子供たちにとっては、遊び場であり、大人への成長の場であり、地域から見守られている場所だったのです。
スーパーやコンビニでは便利に安く物は買えますが、ただ単に買うだけです。用が済めばさっさと店を後にします。店によっては店内で飲食できる形態もありますが、目的は飲食です。それ以外にはありません。
地方にもスーパーやコンビニが進出していますが、未だにこのようなお店があるのではないでしょうか。貨幣や経済性では計算できない価値を持つお店があると思います。普段、何気なく利用しているお店にも、よく考えてみればそのような価値を見出せるのではないでしょうか。
先ほどの売店は、閉店後約20年が経過しています。跡地には戸建て住宅が分譲されています。そして地域はますます寂れ、カサカサと乾いたすれ違いの音しか耳に聞こえてきません。
お節介までに世話を焼く人たち、人の笑い声、喜怒哀楽の表情、あの濃密な関係性はもう遠い昔になってしまいました。売店がなくなって、二代目ご主人が亡くなって、本当に昭和の時代の終わりだと感じています。
これは単なるノスタルジーではありません。コンサルタントとして地域の活性化とは何かを考えたとき、経済性一辺倒では語れない何かがあると考えています。
当社は小さな会社ですが、お客様との関係性を大切にしています。コンサルティングのコンテンツだけではないお付き合いも大切にしています。
それは、この売店と二代目店主から学んだことです。コンサルティングという商品や、お金のやり取りだけではない関係性があってこそ、本当のコンサルティングができると考えています。