第85話 M&Aで企業は買収できても「心」までは買えない

 M&Aで企業買収したなんて聞くと、テレビドラマかなんかに出てきそうでカッコいいですよね。ビジネス界ではよく耳にする言葉ですが、実際にM&Aを経験することはたぶん、そんなに頻繁にあるわけではありません。テレビドラマかコマーシャルの影響か、さっそうとしたM&A仲介会社の社員がクールにスマートに進めていくイメージはありますが、実は、非常に泥臭い地べたを這うような地道な交渉作業が続きます。

 企業を買収するということは、買収される側のお金や土地・建物、設備など形のあるものから、権利や信用など形のないもの、また、大切な社員も引き継ぐことになります。そして最も重要で大切なオーナーの「心」を引き継ぐことになるのです。ここにM&Aの難しさがあり、失敗する原因でもあります。

「先生、俺やっぱりM&Aに応じるのはヤメにしたよ」

「何とか社員にやってもらうつもりさ」

 この会社は、ある地方都市で長年公共工事を中心に事業を行ってきた土木会社です。高度成長期に個人創業し、経済発展と共に会社も成長してきました。しかし、円高の影響で輸出産業が衰退すると地域経済も打撃を受け、受注量は激減。人員や機械を整理し規模を小さくしながらこれまで生き延びてきました。

 公共工事しか知らないわけですから、民間工事の営業なんてできるわけがありません。上を向いて口をあけて待っていれば食べさせてくれた時代が、自分でエサを探さなければならない時代になったのです。それでも上を向いて落ちてくる少ないエサを待ち続けていたいたものですから、やせ細って小さくなってしまいました。そして、社長夫婦に子供がいなかったため会社の存続を考えていた矢先、同業他社からM&Aの話を取引銀行から持ち掛けられたというわけです。

 ちょうどその頃、人伝に聞いた当社のショールーム営業が痛く気に入り、コンサルティングの依頼となりました。コンサルティングでは、公共土木に依存していたため外部環境の変化に対応できなかったという反省を踏まえ、民間工事、特に下水工事に参入することにしました。ただ、他の工事業者とやることが同じでは参入が遅かった分不利です。そこでどうしたら特徴が出せるか考えました。

 この会社に最適なショールームとはどんなものだろう?土建屋に普通のショールームを作っても全く意味がありません。大体、土建屋のショールームに一般顧客が来てくれるわけでもないし、来館してもらえる営業力もありません。どうしたらいいだろうか、社長や社員とも意見交換している最中です、ある社員がこう言いました。

「来てくれないならこっちから行けばいいんじゃないか!」

 この一言でショールームの基本線が決まりました。そしていろいろアイデアを出した結果、トラックに下水のしくみを展示したパネルや実験装置を載せ、見込み客になりそうな会社や地域の説明会に出かけプレゼンをすることにしました。そしてこれが「分かりやすい」と大変受けて受注を増やすことに成功したのです。

 それに加え、実演をするとか下水のキャラクターを用意するとか、いろいろなアイデアが生まれました。社員はみな楽しそうにアイデアを形にしていきます。するとここにチームワークが生まれます。リーダーが現れ、役割分担でき、報告会が開催されるようになります。

 これまでバラバラに仕事をしてきた人たちが寄り集まって議論し、それぞれのネットワークを使って色々な情報を持ってくるようになりました。そしてやがて、手作りの移動式ショールームが出来上がったのでした。結果は前述のとおりです。

「社長、民間工事の比率がずいぶん増えましたね。」

「この分で行くと2~3年後には逆転するかもしれませんよ」 

 ところでM&Aの話。同業他社は、この会社の様々な権利が欲しかっただけで、社員のこともオーナー社長のことも全く考えていないことが分かりました。そんな会社に大切な社員を預けるわけにはいきません。預けたところで社員が大切ではなく権利が大切なわけで、社員の冷遇は目に見えています。いずれ退職してしまうかもしれません。以前なら任せられる社員はいませんでしたが、今は違います。社内にリーダーが現れ、チームワークが生まれました。

「先生、俺はダメな社員だとばかり思っていたけど、ダメなのは俺の方だった」「社員を教育してこなかったんだもんなあ」「ショールーム作るぞって言っただけで社員が集まってリーダー決めてチームワークが生まれるなんて思ってもみなかった」「M&Aなんかヤメだ、俺は社員にこの会社を預ける」「そうできるようにすることがこれからの俺の仕事だ」

 というわけでM&Aはヤメになりました。M&Aで企業を買収しても60%は失敗すると言われています。法的、物理的には買収できても、文化・風土、そして人の「心」は買収できないのです。そして、会社の危機が結果的にやる気を起こさせ、社員が成長を促したと言えます。

 社員を信じて任せること。オーナー社長にとっていかに難しいことかはよく分かっています。しかし、それができた時に一回り大きくなれるのです。

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